日々是平凡なり
日差しがぽかぽかと気持ちよいある休日のことだった。
僕は宿題をやってしまおうと思ったがあいにく墨を切らしていたので、隣の兵太夫の部屋に墨
を借りに行った。
「兵太夫いる?ちょっと・・・」
墨を貸して欲しいんだけど、と続く言葉は険しい顔で口元に指を一本立てる、わかりやすい「静
かに」の合図によって遮られた。
一体なんだって言うのだろう。
僕は何故いきなりそんな合図をしてくるのかとっさに解らずパチパチと瞬きをした。
すると兵太夫は無言のまま自分の膝の方を指さしたので僕は言う通り視線を少し下に落とした。
ああ、なるほどね。
兵太夫の指さした場所。つまりは兵太夫の膝の上、そこには団蔵がすうすうと気持ちよさそう
に眠っていた。
「どうしたの?」
僕は団蔵を起こさないように、うんと息を潜めてうんと小声で尋ねてみる。
団蔵は身じろぎ一つしないで相変わらず、至福の表情で眠っている。
昨日よっぽど眠れなかったのだろうか。なんというか今にも涎を垂らしそうなくらいだ。
起こしてしまったらこれ以上ない罪悪感に襲われるところだろう。
「実はね、川釣りに行こうって僕を誘いに来たんだけどこの本を読み終わるまで待ってって言った
ら待っている間に寝ちゃったんだほら、昨日の会計委員会があっただろう?潮江先輩と徹夜で計算してたみたい」
「ああ、あの忍術学園一忍者しているって言う」
「そう、ぴったり合うまで計算だ〜って頑張ってたらしいよ。時折手裏剣と潮江先輩の怒声が
飛び交う中で」
「そりゃまた・・・何というか凄いね」
流石、潮江先輩。忍術学園一忍者している男と言われるだけあるなあ。此処まで来ると凄いと
しかいえないよ。学級費の計算の場でまさか手裏剣が飛び交うなんて単語が出てくるなんてそ
れこそ夢にも思わなかった。
まあ
「団蔵には良い迷惑だろうけど」
「うん、僕もそう思う。それはそうとさ、庄左エ門ちょっとそこの押入から枕と上掛けを取っ
てくれない?流石にずっとこの体勢だから疲れて来ちゃった」
「良いけど、起こして自分の部屋で眠らせた方がいいんじゃない?・・・右と左どっちを開く
の?」
君の部屋で下手に寝返りでも打ったら槍でも出て来るんじゃないか?と冗談めかして言ってみ
る。
いくら兵太夫でも命の危険があるようなものを仕掛けているとは思わないけれど。
「大丈夫だよこの辺の床にはその手の仕掛けはしてないから。あ、右の方を開けて。左の押入
は開けたら矢が飛び出すから気をつけてね」
・・・前言撤回。本当によくこの部屋で無防備に眠れるなあ、団蔵。
ある意味度胸があるといえなくもないよ。ちょっと尊敬すらしそうだ。
とりあえず兵太夫か三治郎がいないときにこの部屋に入るのは(危険だから)絶対しないこと
にしようと僕は心に誓った。そりゃ、もうよっぽどのことがない限りは。
そんな僕の心情を知ってか知らずか兵太夫はどうしたの?と尋ねる。
素直に言ったらまた危ない目に遭いそうなので、誤魔化しつつ僕はこの前に引っかかった落とし穴の場所をさけ、他の仕掛けに気をつけつつ押入の前に向かった。
「これを取ればいいの?」
「うん。手前に張ってある糸に触らないように気をつけてね」
「うん、気をつけるよ。何というかやっぱり物凄く団蔵を起こした方がいい気がしてきたけど
ね」
半ば本気で思いながら僕が言うと兵太夫は軽く笑った。
・・・笑い事じゃないんだけどなあ。上掛けと枕を取るだけで危険な目に遭いかねない部屋だし。
まあ、兵太夫は団蔵に甘いから怪我なんてさせるわけ無いんだけどね。
「有り難う。これでやっと足を伸ばせるよ」
「どういたしまして。そんなに疲れたなら起こすとか団蔵の頭をずらすとかすればよかったの
に」
「駄目だよ。下手に起こすと団蔵ってばこんなに眠い癖して無理して川釣りに行こうっていいだす
からね。せめてあと半刻は寝てからじゃないと危ないだろ?」
「はしゃいで川に落ちかねないし?」
「そうそう。それにこんなに気持ちよさそうに寝ているのに起こすなんて何だか罪悪感もわく
からね。ほっとくことにしたのさ」
たまにはそんな日も良いだろう?と楽しげに笑って兵太夫は団蔵の髪を手で梳いた。
それが何だか微笑ましくて、僕はそうだねえと頷いた。
日差しは相変わらずぽかぽかで、宿題が終わったら僕も部屋で昼寝をしようかなと思った。
完
うちの兵太夫と庄左エ門は団蔵に甘いですと言う話し。(身も蓋もない)
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