「学校中に噂になっていたぞ」
と、立花先輩は言った。
「そうなんですか?」
他に返しようがなくて、そう答えると立花先輩は実に優美な仕草で微笑んだ。
星屑の賽は投げられた
週に一度の作法委員会の活動日、備品の在庫を確認する作業をしながら立花は世間話をするように口を開いた。
「何でも白昼の校庭で抱き合ったそうじゃないか。この学園でしかもそんな目撃者の多い場所での色恋沙汰となれば四半刻もあれば知らないやつはいないだろうさ」
現に、昨日から私のところまでお前のことを聞きに来る輩が絶えないしな?という台詞とは裏腹に尊大且つ楽しげ・・・否、相当楽しんでいるんだろう。立花は口元に笑みを浮かべた。
「それはご迷惑をおかけしました。すみません」
対照的に綾部は一切の感情を写さない、全くの無表情でそれに応じる。
「いや、たいした手間でもないから構わないさ。だが、お前から何も聞いていないのでは私としても相手に答えようがないからな。少し詳しく話してくれないか?」
「はぁ、別に大して面白い話でもないと思いますが」
「そんなことはないさ、少なくとも私にとってはな」
お前が関わっているとなれば尚更な、と立花は聞きようによっては余計な世話以外の何ものでもないような台詞を吐き、優美な笑みを深くする。それがよりいっそう有無を言わせぬ雰囲気をかもし出すのは彼の雰囲気ならではだろう。
だが、綾部はそんな雰囲気をどこかのんびりとした様子で受け流しながら口を開く。その表情にはやはり何の感情も見られない。
「抱きあってはいません。ただ、抱き締めはしました。彼を見つけた途端、不思議なことにそうしたくてたまらなくなって、気づいたら体が勝手に動いていました」
「ほう、それは相手も驚いていただろう。殴られなかったか?」
「いえ、殴られはしませんでした。ただ、初対面だったのですごく驚かれはしたんだと思います。かなり騒がれましたし」
「そうか。まぁ初対面の人間にいきなり抱きつかれたりすれば大抵の人間は騒ぎ立てるな」
「そういうものですか?」
「ああ、普通の人間ならば、な。」
立花は意味ありげに目線を綾部にやる。だが、綾部はそれを全く解さぬ様子で眉一つ動かさない。
そんな姿に立花はつまらなそうに首をすくめた。そして、これ以上そのことを言及しても面白い話は出ないだろうと諦めたのか、話題を変えた。
「それにしても、お前がそんなに他人に興味を持つなんて珍しいじゃないか」
「そうですか?まぁ、確かにあまり関心を持つことは少ない気もしますが」
「少ないだろう。私が見る限りお前がこの学園に入ってからと言うもの興味を持ったのは同じ組の平くらいじゃないか?田村以外では」
「まぁ、滝は目立ちますしなんだかんだと面白いですからね。それはそうと、相手が田村君だってことまで聞いたんですね。先輩」
「あぁ、何しろ同室の馬鹿と委員会が同じなんでな。自然と耳に入ってきた。珍しい髪と目の色をした奴だろう」
「はい。まるでお月様みたい色の綺麗な子です。驚きました、あんな子がいたんだって」
やっと会いたかった人を見つけたことが嬉しくて、仕方なくなったんです。と語りながら綾部は漸くふっと花がほころぶように柔らかに微笑(わら)う。
だがそれも一瞬ですぐに表情を無表情へと引き戻した。
「でも、少し心を乱しすぎました。これからは気をつけます」
再び、何も感じていないかのような表情で。
その変化をまじまじとみた立花は、少し驚く。この忍術学園に入ってからそれなりに長い付き合いだが、いつもそれほど表情を変えない綾部が一瞬とはいえそんな表情を見せたことは初めてだった。
なにより驚くべきは、そんな表情をさせたのは昨日今日知り合っただけの少年だという。どうやら本当に綾部はそんな短時間に、何をされたわけでもないのにすっかり心を奪われたらしい。
そんな自分の予想を裏切る嬉しい誤算に、立花はにやりと口元を歪める。どうやら、更に面白い展開になりそうだと予想して。
「いや、私は寧ろ良い傾向だと思うぞ。お前のためにも」
「そうですか?忍びとしては少々感情的になりすぎたと思っていたのですが」
「そんなことはないさ。お前は感情を押さえつけすぎるところがあるからな」
「しかし、忍びに感情なんて必要なのでしょうか?」
「さぁ、確かに邪魔なときもあるな。だが、綾部。私達は忍びである前に人間だからな。人が人間であるためには必要なものだと思うぞ。感情と言うものも」
忍びとして、確かに抑える術を持つに越したことはない。だが、だからといって殺してしまうほど抑えるのはどうだろう。
それではまるでよく出来たからくり細工だろうと、立花は答える。
「正直、少し心配していたところだ。なんにしろ熱中できるものができたというなら、私は良かったと思う」
少なくとも、そんな人形のように感情を抑えているよりも日々が楽しいだろう?
そう投げかける立花に綾部は少し考えると、こくりと頷き先ほど見せたように柔らかに微笑(わらっ)た。
「まぁ、田村は文次郎のところの人間だからな。多少無茶しようがそうそう壊れやしないだろう。欲しいと思うなら、せいぜい本気で奪いに行け」
「えぇ、先輩と話していたらたまにはなりふり構わなくてもよいように思えてきました。頑張ります」
そうして、賽は投げられた。
了
無料配布本より再録。
とりあえずこれで綾部と三木ヱ門の出会いの話は完結です。
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