似ているけれど正反対。
正反対なのに良く似ている。
僕らの関係は鏡に映した自分を見ている感じに似ていると思う。






鏡面関係







僕と金吾は、あんまり似ていない。顏はもちろんだけど性格とか考え方とか好きなものとかそういったものが僕らはぜんぜん違う。
例えば僕はナメクジさんたちが好きだけど金吾はナメクジさん達が嫌いだと言う。
例えば金吾は刀が好きだけど、僕は刀なんて重いし危ないからあんまり好きじゃない。
こんな風に僕と金吾は違ったところが沢山ある。だから僕たちは似ていると言われたことはない。
一度もない。
でも皆が気づいていないだけで、実は似ているところだって沢山ある。
例えば、生まれた所は相模の国だし父上の職業も同じ武士。
忍術学園に入学したのもこれまた同じ途中入学で忍たま長屋の部屋も一緒。みんな普段はそんなこと(僕もだけど)気にとめてやしないけど、僕らは、育ってきた環境は結構似ている。
そして多分そういうところはこれからも似続けるんだと思う。
僕が風魔の血を継いで忍者にしかなれないように。
金吾はきっと、武士にしかなれないんだろう。僕が『忍者の子』であるように忍者の学校にいる今でも、彼はどこまでも『侍の子』だから。
武士の子だけど忍者にしかなれない僕と、忍術を習っても武士にしかなれない金吾。僕らはきっと与えられた生き方でしかきっと生きていけない。生きる気もない。
最初こそ与えられたものだけど、僕らはそれを受け入れることをとっくに選んでいるから。きっとそういう風に生きていくんだろう。そんなところが僕らはとても似ている。
まるで鏡に映したみたいに、そっくりなのに正反対だ。
でも、だからこそ

「おもしろいねー」
「何が?喜三太」
「鏡みたい。似てるけど全部が正反対なんだもん」
「いや、何と何が?訳分からないよ」

僕は君が大好きなんだろう。

「んー、内緒」
「いや、話ふっておいて途中で切らないでよ」
「だって、金吾には面白くも無ければ泣いちゃうかもしれないから」
「はぁ?泣かないよ」
「でも内緒」


正反対の僕らだから、君もそうとは限らないけれど。

























もと掲示板ログの金喜。
こういうものを書いているとひょっとして自分は世間に逆行して金吾←喜三太なのかもしれないと思う。
いや逆行はいつものことだけど。
喜三太は哲学者とアホの子ぎりぎりのラインを行き来した考え方をしている気がする。












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